2009-03-21
★ 感動の正体
最近、とあるショーを観て些細に感動してしまったんだけど、その時に感動の正体って承認なんじゃないかとふと思った。
ある感動的な現象、― それは映画でも小説でもスポーツでもなんでもいいんだけど ― を客観的な視点でみて、それが観察者の信条、美意識、イデオロギィに一致している場合、観察者はその現象を通して自分の信じるモノの正当性を得られたと思えるメカニズムが感動なんじゃないだろうか。
たとえば、“努力は成功に結びつく”とか、“愛は正義”といった信条を持っている人がTVドラマでその現象を確認出来た場合、(疑似)事実(外の世界)があなたを承認してくれた、と感じると。
また多くの場合、現象→観察者方向の承認だけでなく、観察者→現象方向の承認も同時に発生する。感動する者がその対象を激しく賞賛する行為は感動者自身の主義を感動対象を媒体にして自己主張する行為にあたる。
弱気き心の隙間を埋める瞬間が感動であり(ルサンチマン)、強き者は感動を必要としないのかもしれない(自身の主義に確信があり承認が必要ない)。
2008-07-20
★ 面白さとは何か?
結局つまるところ、Funnyであれ、Interestingであれ、"面白さ"とは送り手と受け手の"差異"にある。すなわち、「これってちょっと変」という感性が人を掻き立てる。そして"文化的な豊かさ"において、この差異=多様性の取り入れが本質的・最終的に重要になる。
自分自身がある文化体系に属していている場合、あるいは何らかの文化的な仕事に従事している場合、自覚的であれ、非自覚的であれ、個々は体系に差異を提供するべきである。
作家だとかアーティストとよばれるような人は時に"天然"とよばれ、非自覚にこの差異を創出している場合が多い。
そうでない者はどこか自覚的に行うのが望ましい。そうでなければ自身のアイデンティティを問われる、あるいは文化そのモノの衰退に繋がる可能性もある。
"差異"の対義は"画一"である。システムは(なぜだか分からないけど)、時間の経過と共に安定化、画一化に向かう傾向にある。だからこそ差異の補充が重要になる。ダイナミズムを失った文化は衰弱し、人の関心や興味を引きつける力を失う。
こういったフレームは生命や種の進化の枠組みと相似である。多様とその柔軟こそが進化と未来における存在を保証する。
2008-06-12
★ ネルドリップのススメ
珈琲を飲まない日々があるだけで人生がもったいなく感じてしまうワタクシだけど、先日、珈琲メーカ用のペーパーフィルターを切らしてしまった。
朝(?)起きて、一日の始まりに珈琲を飲みたい。しかし、珈琲を飲まずにフィルタを買いに行くのも嫌だったのでキッチンを物色すると、何故かネルドリップに使えそうな布こしがあるではないか。相方さんが紅茶用に常備していたモノだったと思うが、長らく一度も使ってないので無断で借用。
珈琲は庶民の飲み物だ、ツウぶって、家庭でおしゃれにネルドリップで珈琲を入れるなんて粋じゃない、なんてひねくれた思いがあったのか、それとも、手間掛けて面倒な入れ方をすれば珈琲が美味しくなるなんて非科学的で何の合理性もないと信奉していたのか定かじゃないけど、今までネルドリップで淹れようとは今まで全く思っていなかった。
ともかく、ネルドリップで淹れざるえない状況に陥れられたのでそうしてみた。すると、
うーまーいーぞー!!!!
いやぁ、びっくりした。何か深みが全然ちがうのである。それ以来、ペーパーフィルタを求めようとしていない。
いざやってみると、意外と淹れる手間はそれほどでもなく、インスタント珈琲を淹れるのとそれほど変わらない。ただ、淹れた後、出がらしの処理がやや面倒ではあるが。
そんなわけで、その場で焙煎してくれる珈琲豆屋がある人には是非ともオススメ。自分はやなかを贔屓にしている。豆は店で挽いてもらって、真空パックに入れて冷凍庫で保存しておけば十分かと…。(あまりこだわりがエスカレートすると嫌だなぁ)
2008-06-08
★ 読書:「お金は銀行に預けるな」
自分の読む本の9割は図書館からの貸し出しなので、自分の興味対象の本だけでなく流行っているコトだけを理由に借りてくる本がある。内容は全然しらない。そして、その一冊がこの本「お金は銀行に預けるな」。
しかし、2/3ほど読んでみて、どうしても自分とは無縁の本の様子。
この本の意味深なタイトルを自分なりに要約するとこういうコトだと思う、
日本は金融に対するリテラシが低い。なぜなら、日本と同じ経済水準の国(欧米)はもっと個人投資を行っている。これらの国の人たちは、日本人のようにあくせく働かなくとも、自分たちの資産を適切に運用することにより、ゆとりある生活をしている。自分たちの資産を銀行に預けて、低い金利だけを受け取っている行為は、それだけで(欧米と比べて相対的に)損をしているのだ。世の中にはいろんな金融商品がある。適切な金融知識をつけてそれらを利用すればギャンブルにはならない。逆に銀行で塩漬けになっている貯金を放っておくと(相対的に)損をする。さあ、投資に回してもっと儲けましょう。
究極的には、自分の資産を貯蓄しようが投資に回そうが個人の勝手であろうに。自分はその前提をあまりに強く持ちすぎているためか、著者の説明のあちこちに恣意性を感じる。
たしかに、我々の多くはお金や金融に関する教育を受けていない。しかし、投資をしていない・投資を考えていない人はお金のリテラシが低いとなるのはずいぶんじゃないかと感情的になってしまう。また、投資に手を出していない人は(相対的に)損をしているというのも随分とモノの見方が狭いのではないかと。
筆者の薦める投資方法は外貨投資らしいのだが、その国の人と直に話したことも、同じ空気もすったこともないのに、己の金儲けのためという一点だけで、諸外国と接する考え方は何か解せない。グローバリズム、すわ恐ろしき。これこそが帝国を築いた西洋の世界観なのかもしれないが、自分の中ではどこか下品な感覚がある。
お金とは力、ある種の権力であるのだから、どこか外界にコミットするのなら、またその影響や責任の視点をすこしぐらいもって貰いたいものだと思う。話がそれたけど。
自分は著者が前提とする金銭観が日本(世の中)を豊かにするということに対しては懐疑的で受け入れがたいのだけど(これは金融リテラシの低いモノが叫ぶ遠吠えか)、世の中的にはそちらの方向に向かっていることの実感はある。また、そういうふうに金銭感覚をもっている人々を否定するような時代でもなし、その人達がインチキ詐欺師の煽りに飲み込まれないために適切なリテラシが必要なことも確かだと思う。遅かれ速かれ、日本も著者の桃源郷である欧米型の資産運用が当たり前となる日が来るのだろうと想像する。その意味で自分はこの本を否定しない。
2008-05-30
★ 成功と失敗の非対称性
デザイン論でよくある話に、「デザインは足し算ではなく、引き算であり、何も省くものがなくなったときが完成である」、みたいなことが言われるけど、それと同じく、成功は日常的であり、かつ本質的に知覚されにくい。そしてエラーが発生したときに初めて認識される。
そうふまえると、成功パターンの蓄積って、失敗パターンの蓄積よりもずっと難しい。
「反省」って言葉はよく使うけれども、これの反義語はなんだろう。つまり、成功したモノゴトに焦点をあてて振り返り考える概念。この概念を持たないと失敗せずに成功から学ぶことはできないのだろうか。
この成功/失敗の二元的な対立の非対称性がデザイン的な作業の根底のひとつにあるような気がする。
イノベイションは必然ではないが、イノベイションの難しさとその力も関連するのかな。
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なんかよく分からないけど、ただ確実に言えるのは、手や体を動かして球数を沢山打つのは大局的には間違いないだろう。
2008-05-19
★ 行動と動機
ロンドンのパブで尋ねられた英語の短いセンテンスが今でも印象に残っている。
What made you come to London?
「なんでロンドンに来たの?」をどう英語で表現するのか。これはごく初級の英語で、自分はこれを"Why did you come to London?"にあてていた。おそらく英語のテストでは100点満点をくれるだろう。だけど、その英国人の尋ね方は上のように"What made you come to London?"だった。
これはとても英語らしい表現であると思うと同時にはっとした。相手を主語にしてその理由を聞くのではなく、その動機を直接尋ねている感じがするから。質問としての意味は同じでもニュアンスが随分違うんじゃないかと感じた。おもしろい。
「なぜ?」ではなく、「何が?」によって行動の裏にある動機が主体として実体化される。このことにより、物事の体系がより明確になるような気がする。
なんだか、(Smalltalk型)オブジェクト指向によるメッセージパッシングのようだ。
メモ:
- 人の行動には原理がある。
- 動機が行動に押し上げる。
- その行動は動機とどのくらい同調しているのか。
- 自覚のない行動から動機をどの程度探れるのか。
2008-05-18
★ 読書: 「初めて読むドラッカー プロフェッショナルの条件」
とりあえず、半分ほど読み進めた。 経済学部を出て企業経営うんぬんを唱えるインテリの知人がこのドラッカーを引用していたので、もっとお堅い本かと思っていたけど、全然読みやすいし、おもしろい。
自分はあまり自己啓発系の本は読まないけど、その上であえて言ってしまえば、この手の本をその目的で求めるのならこれ一冊で十分。
書店に行けば自己実現の指南書があふれかえりランキング付けされていることから、この本よりもより具体的に解答を与えてくれる本(あるいはウェブ情報)もあるのかもしれないけど、そういったモノを求めようとする行いは、目的の達成から遠ざかるばかりのような気がする。
というのも、筆者と自分自身は所詮別人だし、価値観を共有した上で彼の与える個々の事例を越えたメタレベルの理解が重要に思う。自分を向上させたければ自分自身を観察し、自分で考え、自分で行動を起こせるようになるしか答えはない。それは他力に頼らず自己で完結できる体系に他ならないのだから、下手な誘惑と幻想を断ち切ることが自己実現への第一歩にあるはず。(と、自己実現どころか快楽的に生きている自分が言うと暴言でしかないけど)
まぁ、そういう意味であらゆる啓蒙書は読者のためにあるのではなく、筆者の自意識を高めるために存在しているのかもしれない。この本にあるように、世の中には'書く人間'と'読む人間'がいるのだ。しかし、多くの人々にとってそのことを自覚していることは稀、らしい。
2008-05-17
★ 猿楽珈琲
紅茶党の相方さんに対抗するかの如く、すっかり珈琲党になってしまった自分。
昨日、恵比寿周辺でふと時間が空いてしまったので、前から行きたかった 代官山の猿楽珈琲に向かう。
落ち着いた雰囲気の店内には先客が2組ほど。そして注文してからコーヒー一杯が提供されるまでその間、約40分!すばらしい。さすが子供立ち入り禁止、時間ない人は退散のお店。すっかり忘れられているのかと思ったよ。
度々お世話になることにしよう。
2008-05-06
★ アントニオ・ネグリは来なかった
先日、左翼系の会談に参加した。彼ら達の夢や希望に共感できるコトは多々あるのだが、彼らの運動の中での彼ら自身の主体性のあり方はやっぱり変じゃないかな。
ネグリを象徴とする社会運動の主体は社会的弱者(子供、老人、女、無職・職業的弱者、外国人)であるのに、それを決起する主体は芸大や東大という未だ社会的上層の人間ばかりでは無いのか。いや学歴の問題では無いにしても、マルチチュードだのアウトノミアだのという思想を理解し、それらを高々と唱えながら運動を行う主体としての「社会的弱者」がどうにも想像できない。そもそも、それらを咀嚼できる頭の良さと運動が行える行動力が伴えるのならば、そもそも社会的弱者に陥らないのでないのか。
しかしながら、その主体性こそがその運動の原理となるのなら、頭の良い連中や行動力のある連中の参加が難しくなるし、そうなるとその運動の存在自体も危うい。代わって社会的に本当に弱者である人間が主体となって運動を起こせるのかっていうと、起こせないからこそ弱者でもあるわけだし。
また、組織として権力を対抗する運動を行うと内ゲバに発展するのもなんだか理解できたような気がする。それはある程度以上の規模で組織として結束するためにはヒエラルキーが必然的に形成される。しかし、また彼らの思想によりその集団の内側のヒエラルキーも彼らが闘争すべき対象にすり替わってしまう。
左翼系運動の核は愛と希望と正義なんだろうけど、あまりに鮮やかな思想や理論が人を酔わすと同時に、それらの間に横たわる人間の醜さや負の部分との乖離が想定されていないのが問題なんじゃないか。システムとして見ると複雑すぎるし、エラー耐性が脆弱。個々の人間は工業製品じゃないのだから、遊びを十分に取らないと回らない。(その辺、右翼は単純)
まぁ、頭の良い彼らのことだからそんなことはとうに議論され尽くされていて、理解もしているのだと思うけど、直感的にはどうしても筋がわるい。それは反体制の宿命かもしれないけど。
結局、世の中をよくするためには愛ってわけで、その愛が難しい。そして体勢に対する合理的な運動は集団で結束して行動を起こすのではなく、個人個人が自分たちの属している社会の構造を理解するように務めるコトしかないのじゃないかと。
2008-05-05
★ About English in English
There are two major reasons made me learn English, Even though I hated to study not only English but also all subjects when I was a student.
One thing is that after travelling several countries such as India, Cuba, I was so socked how impaired I was without language inhabitants speak in or can understand some how. Especially in those developing countries, they speak English a little, but I could hardly get by less than even who are aged less ten. Shame on me. That is a reason. But Once I go back to Japan, who I have opportunity to speak to in English?
There is another reason practically for me. Being a computer engineer, English help me work. I was (still am) eager to learn computer languages such as C, Ruby, Scheme and so on. So I did. But the more I learnt computer languages, the more it dawned on me that to learning English is worth than those artificial languages. As you know, the Internet has been becoming a main stream. Who can make good use of the network the most are us, computer engineers absolutely! For instance, We often confront illegible irritable messages that compilers show. It sometime takes hours to find out what problems are. But now is the Internet era, folks!. You can just cut&paste the message onto google then you can get how to solve it! But if you avoid English resource, you have less likelihood of finding responses you want, then you might have to solve your problem on your own by dedicating your precious time as though before the Internet era. So, English is our third language.
But it's quite difficult for me to keep motivate to learn English living in Japan. When you are in such a feeling, this might help you:
http://nihongo.3yen.com/ (This website has been moved to http://www.guidetojapanese.org/blog/ )
This site is to learn Japanese for English speakers.(having read it, I am writing this article) I suppose all Japanese English learners get interested in English speaker learning Japanese. So am I. Besides I have always wondered what make them learn our language.
☆ よっきー [そうだろうな。ヨンさまなんて最強の感動者だ。 おば様たちの心情、美意識、イデオロギーに一致し、 おば様たちはヨン..]